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それでも数人、ジェームスに心を寄せる人がいて、例えば、旅行中に夫を亡くしてしまった妻。

年老いた作家。

裕福でありながら、傲慢で、家族が自分の元を去って行った後の孤独を酒で埋めようとし、今やアルコールの海に溺れかけている男。

憎まれ口と生意気な態度を貫きながら、でもジェームスを実は慕っている少年。

その少年が、屈折したもの、満たされない何かを心に抱えていることが描かれるシーンが、印象的。海辺にイーゼルを立てて、少年が描いている絵の中心に置かれているものは、そこにはないもの。多分、少年は、少なくとも感じていて、ジェームスだけが少年の中にある消えないものの存在に気づいていることを。


でも一方で、ジェームスが深い部分で信仰を守り続け、自らの職務に献身的であることも描かれています。そして、その理由も。ジェームスは(出て行った助手のように)純粋培養的な聖職者ではなく、教会の外の世界を知り、また妻をなくした過去を持ち、おそらく、信仰だけが彼を支えた過去があったはずで、それがおそらく、理解を得ることが難しい状況の中でも、彼なりのひたむきさで彼を仕事に向かわせている理由。




神父自身、ジェームスという人間自身、問題がないわけではなく、例えば、大酒を飲む、喧嘩もする、果てはパブで銃を撃って店を壊す、感情を爆発させた結果、助手が教会から出ていくなど。日本語の「人間味」という便利な言葉が適用出来る部分が仮にあったとしても、問題の多い人間であることは確かで、「聖職者」という日本語が提示するイメージからは遠い存在。


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